文久三亥ノ春

豊玉発句集

土方義豊 



さしむかふ心は清き水かゝみ 玉


裏表なきは君子の扇かな 豊玉


手のひらを硯にやセん春の山 玉

春の山を見ていたら、手元に筆がないので、手のひらを硯にしてまでも、何か書き留めておきたくなったのでしょうか。こういう発想ができる人なんですね。

白牡丹月夜月夜に染てほし 玉


願ふことあるかも知らす火取虫 玉


露のふるさきにのほるや稲の花 豊

故郷、多摩の田を思わせます。歳三が百姓であるがゆえに、詠める唄なのでしょうか。さしずめ、夏も過ぎた秋の朝、朝露がまだ残っているところで咲くのは、稲の花なんでしょうね。単純明快ですが、多摩のほのぼのとした様子が伝わってくるような気がします。

おもしろき夜着の列や今朝の雪 玉

雪が降ったので、おやまあ雪が積もっているよと、着替えもせずに寝巻きのまま列なって外を見ている様がおもしろい、ということのようです。当時がどうだったかは良く分かりませんが、現在でも、珍しいところで雪が降ると、そんな光景がありますよね。

菜の花のすたれに登る朝日哉 玉

背の高くなった菜の花が、まるで簾のようになっていて、その向こうから朝日が昇ってくるんでしょうね。菜の花の高さを考えると、差し詰め、開け放った座敷で寝転がって庭先を見ると、丁度、菜の花越しに朝日が昇っていた、と言ったところなのでしょう。これまた、深読みしなくても、情景が目に浮かびます。何て、ストレートなんだろう!これは、しょっちゅう出入りしていたと言う、佐藤彦五郎邸でのことを詠んだのではないのでしょうか。

しれハ迷ひしなけれハ迷はぬ恋の道 玉

恋とは、知ってしまえば迷うけど、知らなかったら迷うことなんてないさ、ってことなんですかね。私には、よく分かりませんが。

しれは迷ひしらねは迷ふ法の道 玉

先ほどの句とよく似ていますが、恋の道ではなく法、つまり仏の道ということです。こちらは、仏の道は知っていても、知らないでいても、結局はそれなりに迷いながら生きていくしかないのさ、と言うことになるのでしょうか?それで、解釈が間違っていなければ、言いたいことは何となく分かる気がするのですがね・・・。

人の世のものとハ見へす梅の花 玉

分かるな・・・。綺麗な梅の花を見ていると、本当にこれはこの世のものなんだろうか?っていう気になってくると言うのでしょう。こんな句を詠むのなら、やっぱり梅の花が好きだったのでしょうか。何故なら、「梅の花」の部分を変えれば、他のどんな花であっても言い訳なんですから。私的には、この句を「梅」で詠んだことに、歳三が好きな花は「梅」だったのでは?と考えます。

我年も花に咲れて尚古し 玉


年々に折られて梅のすかた哉 玉

毎年毎年、梅のつぼみが膨らみ始めた頃、その枝が手折られて、生けられているのでしょう。梅の木の姿は、その毎年毎年、枝を手折られた結果、今見ているような格好になった、と言いたいのでしょうか。

朧ともいわて春立としのうち 玉


春の草五色までハ覚えけり 玉

全くその通りで、七草全部は中々ね・・・。五つまでだったら、何とか挙げられるんだけど。って、こんな句、詠む歳三さんに親近感が湧かない訳無いじゃないですか!それにしても、これを発句集に載せておくところも、彼らしくて良いですね・・・。

朝茶呑てそちこちすれハ霞なり 玉


春の夜ハむつかしからぬ噺しかな 玉


三日月の水の底照る春の雨 玉

春の雨は静かに降るから、雲の切れ間から覗く三日月の光が、水溜りの底の方で反射して見えるのでしょうか。

水の北山の南や春の雨 玉

少なくとも、一部で言われているように、山南さんは一切関係ないと思われます。むしろ、ここまで詠んできて、彼はそんな事を詠むような人物じゃないと考えられます。もっと簡単に、水の北で川の北側を山の南は文字通り、山の南側を指していて、そんなに遠くはないのだけど、川の北側で山の南に位置する場所で、春のやさしい雨が降っているよ、ということなのではないでしょうか。そして、何故か私の頭の中には日野の風景が浮かんできます。この雨が降っている場所は、多摩川の北に位置する日野宿本陣や、土方家の所在する場所ではないのでしょうか。ストレート過ぎますかね?

横に行足跡ハなし朝の雪 玉

まだ、朝早い時間、昨夜降り積もった雪の上には、自分の足跡意外、足跡が無いよ、やったね!一番乗り!!って感じなのかな。

山門を見こして見ゆる春の月 玉


大切な雪ハ解けり松の庭 玉

恐らくこの松の庭は、非常に日当たりが良いのでしょう。折角、庭に積もった雪は、暖かい日差しに解けてしまったので、残念だな〜と思ったのでしょうか。それにしても、「大切な雪」って子供じゃないんだから!

二三輪はつ花たけハとりはやす 玉


玉川に鮎つり来るやひかんかな 玉

お彼岸の頃、多摩川で鮎でも釣っていたのでしょうか。長閑な田園風景が目に浮かびます。

春雨や客を返して客に行 玉


来た人にもらいあくひや春の雨 玉

雨の日に来たお客さんと、雨が降っているものだから世間話をしているくらいしかやることが無いんでしょうね。相手が欠伸をするのにつられて自分も欠伸をしちゃうような、そんな長閑なとある春の雨の日のことが連想されます。

咲ふりに寒けハ見へず梅の花

まだ寒い時期に咲いている梅の花には、寒さが感じられないと言うことですね。分かりやすい。確かに、外は寒いのに咲いている梅を見ると、暖かいんだな〜って言う気分にさせられますよね。でも、実際はまだまだ寒いのですが・・・。

朝雪の盛りを知らす伝馬町 玉


丘に居て呑のもけふの花見かな 玉


梅の花壱輪咲ても梅ハうめ 玉

確かにその通りでございます。にしても、味も素っ気も無い唄ですよね。でも、これ、結構、お気に入りの唄なんです。

井伊公名
ふりなからきゆる雪あり上巳かな[こそ] 豊玉

桜田門外の変を詠んだ歌なんでしょうね。

年礼に出て行そやとんたひこ 玉


春ハはるきのうの雪も今日ハ解 玉

余程、雪が解けてしまうのが悲しいことなのか・・・。42句しかないのに、似た様なことばっかり詠んでいますよね・・・。

公用に出て行ミちや春の月 玉

よく、この句の解釈で、新選組副長が公用に出て行くときを呼んだものだとするものを見かけますが、この発句集がまとめられたのは「文久三年亥ノ春」のこと。つまり、江戸で清川八郎によって集められた浪士組に参加する前の準備のひとつとして、まとめられた物のようですから、新選組副長には全く関係ありませんよね。じゃあ、この公用とは何なのでしょうか?その頃、江戸に住んでいましたから、多摩地方への出稽古に行く途中のことなんでしょうかね・・・。

あらわやに寝てひてさむし春の月 玉


暖かなかき根のそはやあくるたこ[ひか登り] 玉


けふもけふもたこのうなりや夕けせん 玉


うくひすやはたきの音もつひやめる 玉

新選組!の中で唯一(?)登場した名句です。その辺の解釈は、三谷版の土方・沖田のやり取りが面白いので、そちらに任せます。

武蔵野やつよう出てくる花見酒 玉


梅の花咲るるたけにさくと散 玉

四十二句最後の句です。何か、儚いですね・・・。でも、この句を最後に持ってきたことに、歳三の死生観が伝わってくるような気がします。 


所蔵 土方歳三資料館
参考 新撰組のふるさと日野ー甲州道中日野宿と新鮮組ー 
    俳諧の人・土方歳三  菅 宗次(PHP新書)